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Vladivostok Japanese

「ウラジオストック」その名前そのものが、東シベリア、極東ロシア総督、ニコライ・ムラビエフ-アムールスキーの野望を表象している。ムラビエフ-アムールスキー提督は1859年に日本海に面したこの土地に、ロシア東端の国境を守る軍事拠点を建設しようとの夢を描いた。

ウラジオストック港は天然の入り江であり、貿易の拠点、東方への窓である。その果たす役割の類似性から、イスタンブールの著名な湾に模され、金角湾と命名された。

ソ連時代は閉鎖都市であったウラジオストックを、ソ連崩壊後の1992年にはじめて訪れた観光客たちは、思いがけない街の美しさに驚いたという。というのも、海軍の拠点として閉じられていたウラジオストックには、カオスが支配する汚い街というイメージが張り付いていたからだ。

1860年、限られた探険家や貿易商たちが住み着いた、丸太小屋の集積から始まったウラジオストックは、沿海州の中心地として、また太平洋側の重要港として発展していった。

ウラジオストックはおよそ七万人の人口を抱える、地域の政治、産業、科学、教育そして文化の中心となった。

 ロシア太平洋艦隊の母港であり、15の最高学府が優秀な人材を輩出しつづけている。そのトップに位置するのが極東国立大学(FENU-Far Eastern National University )である。地域の主な産業は、海運業と漁業である。また、ロシアで最大級の造船所「ダリザヴォード」もここウラジオストックにある。

ウラジオストックは世界各地との提携のもと、その重要性を高めている。日本の新潟、函館、秋田、韓国のプサン、中国の大連、ベトナムのハイフォン、アメリカのタコマ、ワシントン、ジュノー、アラスカ、サンディエゴ、カリフォルニアなど、世界中の重要な都市と姉妹都市提携を結んでいる

ウラジオストックには歴史あるうつくしい建築物が多く現存する。1891年にロシア皇帝ニコライ二世が記念碑をおいたシベリア鉄道駅、ビサンチン様式の影響色濃い中央郵便局、高級ホテル・ヴェルサイユの進取の精神あふれる美しさ、バロック様式で建てられたアルバート商業センター。それ以外にもロシア以外の様々な国の文化の継承を感じさせる建物が数多くある。

以下に示すのは、ウラジオストックの短いが激動の歴史を刻んだ記念碑や博物館である

国立美術館は、ウラジオストックで最も歴史のある美術館である。シャガール、レーリッヒ、カンディンスキー、レーピン、アイヴァゾフスキー、バラヴィコフスキーその他、ロシア、ヨーロッパが誇る巨匠たちの作品が所蔵されている。

ウラジオストックには、ゴーリキー劇場、青年劇場、プーシキン劇場、人形劇場、フィルハーモニーなど、多くの劇場やコンサートホールがあり、活発に作品の発表がなされている。

 

Continuing with the Russian Far East.....The Primorye Krai
 
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